「チビタマ」は、 私のアニマルコミュニケーターの師匠です。
2013・3月位から鼻水たらして、目やにいっぱいくっつけてちっちゃいのに、だみ声で、突然我が家にやってきました。まだ、ちょっと寒い春先のことでした。
当然のように、私に寄り添い隙あらば、家の中に入ってきました。
その頃我が家には、生後10日くらいで段ボールの箱の中から大きな声で「僕はここだから。待ってたから。おうちに行くから!」と叫んでた7ヶ月になった珠之丞がいました。珠之丞はチビタマより約1ヶ月のお兄ちゃんでした。
チビタマは、エイズと白血病両方のキャリアでした。
彼は、私が最初にブリーディングした「凜」という名前♂の犬のことを知っていました。
凜は生後2ヶ月でブリーダーのもとへだしました。「いやだいやだ!」と泣き叫んでいました。わたしが無知だったばっかりに、そこで6ヶ月で牝のコーギーにかみ殺されてしまいました。凜は、健康だったけれどたった6ヶ月で亡くなった。チビタマは、2つの大病をもって6ヶ月から、私のところにやってきました。凜の代わり?ではないです。でも、私のアニマルコミュニケーターとして経験しなければならない二つの尊い「命」でした。
「凜は、2ヶ月でお母さんの元を離れた。そして6ヶ月で、亡くなった。僕は病気をもってるし、いっぱいお母さんに助けてもらうことになる。それは、僕とお母さんのこれからの絆になる」チビタマが私に話してくれたました。
6ヶ月のチビタマは、こうして当然のように玄関から我が家に入ってきました。最初は一番末っ子だし、身体も小さかったので「ちびたま」でしたが、
1年後には、3頭の犬よりでかくなり珠之丞より体重も増えました。6キロです。
あるときチビタマのことを「ちびちゃん」と親しみを込めてだっこしながら呼んだら
「なんでまだ、ちびなのか?」と言われた気がしました。「だって、一番年が若いし、名前をつけたときは一番小さかったから」と、話したら「なんだ、そうだったのか!」とわかった顔をしました。
四季折々、寒暖の差が激しいと風邪をひきゼーゼーハーハー目に涙、鼻水途端に食べなくなり部屋の隅に行き苦しそうです。病院に連れて行くのもかわいそうなくらいになりながらも、病院で、注射や酸素をもらい入退院の繰り返し。
「お母さん僕はもういいから」と、涙目で1才ちょっとから訴えます。それは、安楽死のことだとわかっていましたが、病院の先生とも相談しながらそれはなしで、頑張ってもらいました。何度も。
推定3才なった2016年9月末、いつもよりひどい発作がありました。
いっしょの部屋にいる珠之丞も、怖がるようになり部屋に入らなくなりました。
病院に通院もできなくなり、往診をしてもらいました。
「もういいよ!」も言えないくらいひどい状態でした。が、奇跡的に復活しました。
その後、いつものようにご飯を食べ、お父さんのすわるソファーの肘掛けにすわる毎日でした。
その日は、たまたま朝方4時位に私は、トイレに起きてしまいました。
ふと猫部屋から玄関の土間に寝そべっているチビタマ
「ちびちゃん風邪ひくよ!」と近づくと何か変? 既に死後硬直していました。
あちらの世界に逝って落ちついたころ、お話ししました。
「ちびちゃん、最後まで楽にさせてあげられなくてごめんね。」
「わかってたよ!お母さんには無理だって。でも、アニマルコミュニケーターとして、アドバイスするためには、そんな飼い主さんの気持ちにも寄り添わなくてはならないでしょ。自分が苦しんでわからないとお母さんには難しからね。
これでよかったんだよ。」と、教えてくれました。
2016年10月26日永眠